http://tabi-labo.com/23252/moneyless/
先日、細谷のコミュニティ(ここでは、名前をふせます)との勉強会を行いました。そちらのコミュニティも地域通貨を検討していて、すこし話しました。
そのコミュニティでは、物価を決めて、そのレートで交換する地域通貨を考えていて、「それは、情報の配布が大変なんじゃないですか?」私が言ったところ、大変なのは仕方ないけどそうするべきだ。と言うことで。
もう少し話をしていて、そもそも私が聞いた地域通貨は、レートは、その交換者間で勝手に決めていいと聞いていますよ。と言いました。
最終的には、交換者間でレートを決める地域通貨に同意してくれたようですが、そもそもそのような地域通貨になんの意味があるのか?と言われて、それに私は、答えを返せませんでした。
確かにそうで、通貨と言っても、レートが好き勝手に決まるので、私は、30万ポイントで交換します。みたいなことも勝手にできます。
それで今日考えていて、そもそも<<便利にするためのものではない>>と言う気がしました。
物の交換を便利にするいための通貨ではなく、地域の信頼関係を醸成するのがテトラさんが言っていた、地域通貨の意味なのかな??と言う気がしました。
なんか以前もここに行きついたような気がするけど。。。。
くれくれ教 = 人からもらうことばかりを考えている人々
と考えると、なぜひとはくれくれ教になるのか?
それは、生産手段を持たないから、一次産業ではなく、二次産業、三次産業の仕事をしていて、お金で生活をしているから。
食べ物をお金でしか得られないから、将来の心配を無くすために少しでも多くの物を少しでの多くのお金を集めようとする。
お金から解放されるには、生産手段を所有する、あるいは、生産手段を有するコミュニティに属する必要がある。
もう少し言うと、くれくれ教とやるやる教のひとは、昔は、ひとつの地域コミュニティにいて、近くにいてバランスが取れていた。
でも、最近は、くれくれ教とやるやる教のひとたちの距離が広がった。
それでくれくれ教のひとの不安が地域で解消できなくなった。のではないか??
続エンデの遺言のその二を見て。
エコバンクが苦境に立たされる。クリーンエネルギーの市場が成熟するに従って、エコバンクも他のノン・エコバンクとの競争にさらされる。
でも、それは、市場競争に入って行くから何じゃないだろうか?
エコバンクは、エコバンクの道を行くべき何じゃないだろうか?
競争というのは、競争を受け入れた者同士の間で成立するもの、競争を拒否し続ければ、競争からは、自由になれる。
なぜお金が必要なのかと考えれば、それは、お金が無いと生活できない社会だからもしかしたら誰かがそういう社会になるように設計しているのかもしれない。
お金の呪縛から解かれるには、お金の必要のない暮らしを求めること。
そうすれば、お金の心配からも解放される。
そしたら好きな仕事だけすればいい。
Amazon の書評が参考になりました。
http://www.amazon.co.jp/エンデの遺言
「貯蓄できない通貨」と「貯蓄できる通貨」これは、別に扱うべきなのでしょうか?自分が老後の年金に不安を感じている根本には、現在の通貨経済の矛盾に由来するような気がしてなりません。